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2018年11月4日
みなさん こんにちは。アイアンウッドです。
呉を後にして広島に向かうのですが、途中で35年前の私の想い出の地に立ち寄りました。
宇品2丁目の電停。
この角を曲がったところに弟が住んでいたアパートがあって、よくここまで来ていたのです。
昭和59年当時の面影がなくて、弟も住所を覚えていませんでしたので、アパートは特定できませんでしたし、昔はもっとこのあたりゴミゴミしていたイメージがあるのですが、すっきりしていますので、この間に区画整理をしたのかもしれませんね。
ここを拠点にして広島県と島根県の県境にスキーをしに行っていました。
20年ほど前までは、冬が来るのが待ち遠しくて、12月から3月までは月に2~3回は雪山に行っていたのですが、子供が生まれてからは一回も板を履いていません。
いまは冬は辛くて・・・
広島の冬というと、この現場をつい思い出してしまいます。
東広島市の幼稚園のイタウバデッキ。
2018年11月1日
みなさん こんにちは。 アイアンウッドです。
10月13-14日父母と子供を連れて三世代で、広島を旅してきました。
広島に行こうと思った理由がいくつかあったのですが、このタイミングになったのは、子供が広島市に進学したこと。
おかげでじいさん・ばあさん・おじさん・お父さんみんなの思い出を巡ることができました。
最初は呉に行きます。
呉は何回か書いたことがあるのですが、父が戦時中に住んでいた場所です。
呉は今でも軍港。 ですが、昭和20年と大きく違うのは今は平時なのです。
自衛艦を巡る遊覧船に乗ると、現役の艦船のこんな近くまで行ってくれて、いろんな説明をしてくれます。
潜水艦がディーゼルエンジンを思いっきり動かしている様子ですが、一度潜ると静寂の世界。こんなことをしていたらすぐに敵に見つかってしまいますよね。
こっちが最新鋭で、ステルスになっているのが素人が見ても分かります。
こんなの敵のスパイが来たらどうするんだ!!って父は行っていましたが、今は平成30年。昭和20年と違ってアメリカもイギリスも攻めてこないのです。
この潜水艦の後ろの街並みに父が昔住んでいた思い出の場所がありました。
ただの駐車場ですが、ここに学校がありました。(呉海軍工廠、工員養成所)。
まだ当時15歳の父は、戦争の色がとても濃くなっていた昭和16年の春にこちらに入所。戦争が終わるまで4年間をここで過ごしていました。
途中南方(インドネシア・アンボン島)に水上飛行機の整備士として行き、命からがら日本に戻ってきたのですが、そういった話を大和ミュージアムでガイドの人にしました。
もう生き証人は本当に少なくなっていて、父はここでは生神様扱いでした。
って余談を多く書きましたが、ここじゃイペの大きなウッドデッキを紹介しないと駄目ですよね。
本当はそこに行きたかったのですが、いろんなところで時間を取ってしまって、私の思い出はこんな遠景で済まされてしまいました。
どこにイペが写っているんだって???
目の前に見えるのが全部イペのウッドデッキ。
戦艦大和の実物大の大きさと言いたいのですが、これで半身です。
長さは実物大(全長263m)ですが、幅は半分。 いやあどれだけでっかい戦艦を作ったんだ!!
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